2010年11月25日

Necessary〜誰のために〜

今年は、音楽人としての自身の才能の無さとアホさ加減に絶望し、ほぼすべての音楽活動を事実上ヤメ&棄てた年でもありました。

無期限活動休止、というのが表面上の表現としては適切なんでしょうが、俺個人、もう音楽やっとったこと自体全部棄てちまってこの世界から引退しても別にえぇや、という感じだった。相当に深刻な状況に精神が陥ったんです。

2009年。
私生活が急転し、救いようのないぐらいひどい状況におちいった俺にとって、それでも唯一の居場所だったと思ってた、音楽活動…

私生活のボロクソ加減を相殺するかの如く、いろいろ順調に物事が進み、声援も受け、オリジナル曲もやりはじめ、LIVE本数も増えていきました。そして、それをマトモにとらえて、そしてそれを励みに、俺は苦境な状況下でも、モチベーション絶やさず音楽に打ち込んできました。

しかし。
そう思ってたのは俺だけで、実は殆どの周りの目はそうではなく、俺の挙動や存在をうざく&奇異な目でみていただけ、という事実を夏場、とある場面で知ることになったわけです。居場所をそこに感じてたのは俺の勝手な想いだけで、実際のところは俺の居場所はなかったんだという、哀しき現実…

物事のウラそして真意を見極められず、うわべの評判やら声援やらをバカ正直に信じて舞い上がってた、実に哀れな姿を、俺は地元で他県で長年晒してたんだと思うとね…

もうね、罪の意識ばかりですよ。
俺と関わってきたメンバーにも他人様にも、俺の存在がホント迷惑かけてたんだという、ね…

何のために俺は音楽紡いできたんだろう…
目的も、目標も、意欲も、一気になくなってしまいました。
自己嫌悪っていうことばではくくれんぐらいの、再起不能な状況にモチベーションが堕ちちまった…

自分自身の趣味活動としての音楽とは異なり、他者とのコミュニティでやっていく音楽にあっては、必要とされなくなったら、そこで紡ぎ生きている意味は、なきに等しいからです。

一向によくならん私生活で荒んだ精神状態もあいまって、ココロの堕ちぶりまでもが加速度を増しました。音楽と携わって25年になろうとしてますが、初めて、音楽とかかわってきたことを悔いそして憎むところまで逝っちまったぜ。

そんなんだからギターもベースも曲も詞もやりたくない、どころか見たくもなくなるわけです。しぜん。

…手元にあったギターもベースも片っ端から売り飛ばしました。

長年連れ添ってきたDOVEやK.YAIRIも、希少な北島健二モデルKK-1も春畑道哉モデルAircraft AC-6も、角野秀行シグネイチャーのATELIER Z S-295やアロハスペシャルも…

手元に残したのは、自分の分身=俺が死んだら形見となる、Kei-TモデルATELIER Z Re-Birth5と、Fender C/Sのジミヘンストラトのみ。アコースティックに至っては一本も手元にない状態に…

が、そんな最中。

ヤフオクを何気に見てたら、非常にひかれるギターと出会ったんです。

幸いにも出品者さんがそのギターの音源もUPしていた。それ聴いてね、「これだ!」という感覚を覚えました。何と言うか「これで音楽奏でたい・音楽紡ぎたい・これとともにうたいたい」というのがあったんだよね。

今まで所持してきたどのギターよりも価格的にも安く、SPEC的にも見劣りするアコースティックだけど、YAIRI手放して以来、久々に手元にアコースティックが帰ってくることになりました。

もう俺は、音楽人としては誰からも必要とされてないのかもしれない。居場所なんてどこにもないのだろう。

だけど、たったひとりになったとしても、音楽は続けていくべき。自己治療としての音楽を誰のためでもなく、俺のために紡いでつくっていくのもいいじゃないか。

このギターとの出会いから、そんな情感を覚えはじめています。

枯れ果てた俺を、少しだけやる気にさせたヤツ。届いたらここでも紹介したいと思いますニコニコ


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