2006年01月01日

謹賀新年2006

「“捨てる”ということ」

新年あけましておめでとうございます。
俺の現在いるあたりの今年の正月は、快晴に包まれた、そらもう良い日和でございました。

今日は一日中のんびり過ごさせていただきましたが、のんびり過ごせるのも今日まで。明日には自宅に戻り、4日からの仕事始めに向けて
身辺の整理など、準備がこれまた目白押しなのです。

要は年末に大掃除し切らなかったのよ(苦笑)
それは実家の拠点にしてもそうなんだけど。

ただ、今回の大掃除で、身辺、大分スリム化したようには思う。
かなりいろんなモノやら書類やら写真やら捨てましたからね。
特に、写真。無駄に所持しすぎっつーに。
俺もシュレッダーも、疲れた(笑)

これは今年全般にあてはまるテーマにもなると思うんやけど、「捨てる」ということが、今年の俺の命運という名のカギを握っているように感じてる。

俺のココロのゴミ箱は2003年に哀しい出来事があったことにより、許容量を振り切るほどに膨れ上がった。

あの出来事があった後、孤独と失意と人間不信のどん底の中、俺はある方法でもって「ゴミ箱を空にする術」を自ら悟った。そして、そのおかげでゴミ箱は一度、紛れもなく空になった。その後それから今日に至るまでというもの、今まで背負ってた重荷がとれたせいもあってなのか、(経済的とか社会的立場とか、物理面ではしんどかったが)今までの苦労が嘘のように毎日を暮らせるようになったのは、紛れもない真実である。

その最たる証拠は
「笑顔」が人前で出せるようになったことだろう。
現在の俺を知っている人には信じられないことかもしれないが、以前の俺は精神のコントロールを失ったこともあって、対人コミュニケーションが本当にとれないとこまでいったから。

笑うことさえできなく=それを許さなかった俺がいたからね…
かと言って泣く事もしなかった。怒ってばかりだった。
気が付けば、唯我独尊センターステージ状態っつーのかな、もはや手のつけようのないほどに、負の感情に総てを支配された人間に成り下がっちまってた。

ココロのゴミ箱の中身を増やし溜め込むということは、個の感情を確実に蝕んでいく病を進行させることでもある

っていうことなんだなって、ね。
ストレスやフラストレーションという範疇では図れない負荷。侮ってはいけないっすよね。それの有無で人格までも変わっていくんだ。
俺は身をもってその体験をしたから…怖いよね…

そんなこんなでココロのゴミ箱を一度空にし、あれから長い年月が俺の景色を変えていった。

しかし、その中でね、言葉には巧く言えないんだけどサ、2003年の鬱積とはまた別の意味で、知らず知らずの間にいろんなものを、ココロのゴミ箱、見えない箇所に溜め込んでしまったようだ。埃も掃除しないと積もっていくでしょ。あぁいう感じっつーのかな?それが故にしんどくなってきた自分も居てるように思うんだ。

大事なものをずっと大事に留めておくことと同じぐらいに、状況を冷静に読んで、スパッと断ち切るところは断ち切る、そんな英断も、この2006年を生き抜いていくにあたって必要となってくるように俺は思うし、またそうあらねばならないと感じる。

そしてそれが出来ない限り、俺は、現状からの歩みを進めることができない、と。

ごちゃごちゃ書いたけど、ぶっちゃけ簡単に言えば
「今年は昨年以上に自分に厳しく、より厳しく」
っていうことっすかね。
くじけるにはまだ早すぎる。
生きることをね、もうひと頑張りしてみたいと思っているんだ。

末筆になりましたが、
皆々様にとりましての2006年が良い一年となりますように…
そして本年も引き続き、よろしくお願いいたします。

2006.1.1 CRY NO MORE 寺尾 規


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