2011年09月28日
屈辱の別室行き
先日の日記で書いたとおり、今日は午後から一時間のカウンセリング。
「ここまで不採用に殴られ、最近では面接の土俵にすら立たせてもらえんワシは、もう今後未来永劫再就職なんて無理。明るい未来は最早無いに等しいので、最近は冗談抜きで死んじまいたいと思うこと多々」
といった内容のことを職業相談の窓口で口走ったことから、急遽こういう事態になりました。
さすがにハローワークの職員も顔色が変わりましたからね、ここまで思い詰めとるもんとは、このバカ面ひっさげて仕事探して2年半の俺からは、想像つかんかったということでしょうか…
んまぁ俺的には、屈辱以外の何者でもないですね。たった一度の失業が契機となって、人は離れ、社会人としての地位は失い、年収は1/5以下に落ち、家庭でも居場所がなくなり、そして音楽でも居場所がなくなり(ただしこれは現在取り戻しつつある。所詮誰の心にも響くことない才能だから、ひとりでのたのしみで、ですがね)、採用は勝ち取れず、どころか浮上のきっかけすら与えてもらえず、心を病み健康も悪化、挙げ句病人扱い同然でカウンセリング送り…
ホントここまで堕ちるところまで堕ちた人間も、そうおらんと思いますね。しかし今の俺にはカウンセリングを拒否することすら許されない、落ちこぼれぶりなわけです。
一時間ほど、これまでの経過や思っとること、世の中の不条理、鬱積しとる現在の状況に対する不満因子、何から何まで洗いざらい話してきました。カウンセラーは哀しい表情を見せましたが、この今住むクソ街とはガキの頃から現在にいたるまで相容れん、いずれ足蹴にしてここから未来永劫脱したい旨も明言してきました。
こういった、俺みたいなどうしようもない人間の、くそまんばいな話を受け止めるのが仕事というのも大変ですが、それでもそれが仕事とできるだけ、この人たちは幸せですね。俺なんて、どんなに洗いざらい喋ったところで、それが先には結びつかんわけですから。
カウンセリングを受けるのが何が屈辱かって、それは俺自身がそういう思いじゃなくても、周囲から見れば「グチをのたまう場」という感覚で捉えられること。
グチと言うのは基本的に何かのせいにするから出てくるのであって、それは非常に格好悪いと俺は思うんだな。そこに気付いてから、俺の中の美学として「グチを言わない。言うヤツはクソボケ」というのがあるわけです。
んまぁこの住む街に関して罵倒しとるのはグチっちゃーグチなんかもしれませんが(爆)、そうなっている根底は、未だに社会復帰叶わぬ俺自身に対する「せい」ゆえ。住む街のことをグチ言っとるんとは違う。そこに住まざるを得ぬ現状の俺自身を詰ってる結果、と言うのが的確かもですね。
そんなこんなで、こういう事態にまでなって、それでも気を取り直してその後端末で求人探して、理に適ったパートをひとつ紹介してもらいましたよ。ところが…
「経験者優遇」という項目において企業側が難色を示し…
それでも面接はしてもらえるはこびになりましたが、受けにいってもこーゆーパターンで採用してもらえるはずもなし。どーせガソリン代の無駄遣いで終わることだろう。
いつもこんな感じですんで、もう何も期待しとらんですけどね。
「ここまで不採用に殴られ、最近では面接の土俵にすら立たせてもらえんワシは、もう今後未来永劫再就職なんて無理。明るい未来は最早無いに等しいので、最近は冗談抜きで死んじまいたいと思うこと多々」
といった内容のことを職業相談の窓口で口走ったことから、急遽こういう事態になりました。
さすがにハローワークの職員も顔色が変わりましたからね、ここまで思い詰めとるもんとは、このバカ面ひっさげて仕事探して2年半の俺からは、想像つかんかったということでしょうか…
んまぁ俺的には、屈辱以外の何者でもないですね。たった一度の失業が契機となって、人は離れ、社会人としての地位は失い、年収は1/5以下に落ち、家庭でも居場所がなくなり、そして音楽でも居場所がなくなり(ただしこれは現在取り戻しつつある。所詮誰の心にも響くことない才能だから、ひとりでのたのしみで、ですがね)、採用は勝ち取れず、どころか浮上のきっかけすら与えてもらえず、心を病み健康も悪化、挙げ句病人扱い同然でカウンセリング送り…
ホントここまで堕ちるところまで堕ちた人間も、そうおらんと思いますね。しかし今の俺にはカウンセリングを拒否することすら許されない、落ちこぼれぶりなわけです。
一時間ほど、これまでの経過や思っとること、世の中の不条理、鬱積しとる現在の状況に対する不満因子、何から何まで洗いざらい話してきました。カウンセラーは哀しい表情を見せましたが、この今住むクソ街とはガキの頃から現在にいたるまで相容れん、いずれ足蹴にしてここから未来永劫脱したい旨も明言してきました。
こういった、俺みたいなどうしようもない人間の、くそまんばいな話を受け止めるのが仕事というのも大変ですが、それでもそれが仕事とできるだけ、この人たちは幸せですね。俺なんて、どんなに洗いざらい喋ったところで、それが先には結びつかんわけですから。
カウンセリングを受けるのが何が屈辱かって、それは俺自身がそういう思いじゃなくても、周囲から見れば「グチをのたまう場」という感覚で捉えられること。
グチと言うのは基本的に何かのせいにするから出てくるのであって、それは非常に格好悪いと俺は思うんだな。そこに気付いてから、俺の中の美学として「グチを言わない。言うヤツはクソボケ」というのがあるわけです。
んまぁこの住む街に関して罵倒しとるのはグチっちゃーグチなんかもしれませんが(爆)、そうなっている根底は、未だに社会復帰叶わぬ俺自身に対する「せい」ゆえ。住む街のことをグチ言っとるんとは違う。そこに住まざるを得ぬ現状の俺自身を詰ってる結果、と言うのが的確かもですね。
そんなこんなで、こういう事態にまでなって、それでも気を取り直してその後端末で求人探して、理に適ったパートをひとつ紹介してもらいましたよ。ところが…
「経験者優遇」という項目において企業側が難色を示し…
それでも面接はしてもらえるはこびになりましたが、受けにいってもこーゆーパターンで採用してもらえるはずもなし。どーせガソリン代の無駄遣いで終わることだろう。
いつもこんな感じですんで、もう何も期待しとらんですけどね。
Posted by Kei-T at 23:52│Comments(0)
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